尾上松也が切り拓く歌舞伎の新境地:古典と現代を融合する表現者の軌跡

歌舞伎界の気鋭、尾上松也が、古典演目の深遠な世界に真摯に向き合いながら、独自の色彩を吹き込むその芸術活動に焦点を当てる。彼は、これまでの経験と先達からの学びを糧に、役者としての歩みを着実に進めてきた。その芸はどのように深化し、どのような未来を描いているのか、多角的に考察する。
六月大歌舞伎では、『盟三五大切』において薩摩源五兵衛と笹野屋三五郎という対照的な二役を初めて演じ分けた。同じ作品内で異なる役柄を演じるという稀有な機会を通じて、松也はそれぞれの役がたどる感情の起伏や内面の変化を鮮明に捉えたという。源五兵衛は仇討ちという明確な目的を持つものの、小万への複雑な感情に翻弄され、最終的に激情に駆られて行動を起こす人物として描かれた。一方、三五郎は策略を巡らせ、自らの望みをすべて達成した上で、主君のために命を捧げるという、ある種の完結した人生を歩む。これらの役を同時に演じることで、松也は役柄ごとの人生観の差異を深く洞察することができた。
松也の源五兵衛像は、狂気に陥りながらも、その根底には仇討ちという使命感と、小万への強い愛情が宿る人間味溢れる人物である。小万が三五郎への想いを口にした瞬間、源五兵衛は理性を見失い、悲劇的な行動へと突き進む。この複雑な内面を表現することは大きな課題であった。また、若党の六七八右衛門との関係性においては、単なる主従関係を超えた家族のような情愛を意識し、先代からの教えを自身の演技に落とし込んだと語る。
七月大歌舞伎では、『御浜御殿綱豊卿』で徳川綱豊卿を再び演じる機会を得た。これは新春浅草歌舞伎以来二度目の挑戦であり、敬愛する片岡仁左衛門と同じ役に挑むという特別な意味合いを持つ。一度目の経験では、未経験の役柄に全力で向き合い、その瞬間にしか生まれない新鮮な表現を追求した。二度目の挑戦では、役への理解を深めつつも、慣れきらない状態での表現の難しさを感じている。真山青果の脚本が持つ心理劇としての側面と歌舞伎特有の様式美を大切にし、仁左衛門からの指導をより深く役柄に反映させることを目指している。
松也が描く綱豊卿は、卓越した知性を持つがゆえに、普段はその才能を隠し、肝心な場面で発揮する天才肌の人物である。彼は赤穂浪士の志、武士道の精神、そして人情を深く理解し、浅野家の再興だけでなく、より大きな視点から物事を捉えている。次期将軍となることを見据え、太平の世で失われつつある武士道に再び光を当てたいという壮大な志を抱いている。このような人物の器の大きさや余裕を演技で表現することに努めている。
師である片岡仁左衛門が演じる綱豊卿を間近で見て、すぐに自身もその役を演じるという経験は、松也にとってかけがえのない貴重な機会となっている。仁左衛門の舞台から感じ取った雰囲気やニュアンスを自身の演技に取り入れ、次へと繋げていくことを心掛けている。また、ダブルキャストという上演形式の面白さについても言及し、演じる役者が変われば同じ役でも異なる印象を与え、解釈の違いによって新たな魅力が生まれると語る。
松也と中村隼人の綱豊卿は、仁左衛門と幸四郎が演じるそれとは異なり、設定年齢がより役柄に近いことで、綱豊と助右衛門の関係性がより写実的に映る可能性を指摘する。六月と七月の二度の役替わりを通じて、松也は自身の「個性」とは、育った環境や多様な舞台経験、様々な分野の人々との交流を通じて培われたものが、自然と歌舞伎の舞台上で形となり、独自の表現として表れるものだと考えている。歌舞伎俳優としての経験が外部の作品で個性となるように、外部での経験もまた、歌舞伎の舞台へと還流され、彼の芸術性を豊かにするのだ。