市川團十郎と三池崇史監督が語る「襲名」ドキュメンタリーの深層

歌舞伎と映画の融合:伝統を次世代へ繋ぐ「襲名」の物語
三池崇史監督が語る『襲名』:歌舞伎への敬意と映像表現の挑戦
三池崇史監督が初めてドキュメンタリー映画を手掛けた『襲名』は、市川團十郎と市川新之助親子の襲名披露を追った作品です。監督は、歌舞伎に関する知識がほとんどない中で、高みから語るような姿勢は避け、あくまで客観的な視点で淡々と記録することを目指したと語ります。襲名披露興行の演目を中心に据え、海老蔵時代のプライベートな発信とは異なるアプローチで、歌舞伎の芸術性と臨場感を表現することに注力しました。特に、襲名当日の舞台における團十郎さんの特別なオーラや存在感を捉えられたことは、この作品の大きな価値だと感じているとのことです。
市川團十郎が明かす三池監督の人間性:舞台裏の深い絆
市川團十郎は、歌舞伎俳優の楽屋にいることに違和感のない数少ない人物として、写真家の篠山紀信さんと三池監督の名前を挙げます。監督の持つ、細やかでありながらも監督としての視線には余計なものがなく、まるで自然の一部のようにそこに存在していると感じたそうです。團十郎は、三池監督の作品には時に暴力的な表現が見られるものの、『襲名』では余計なものをそぎ落とす「引き算の演出」が際立ち、その演出力に新たな発見と驚きを感じたと言います。長年の共演を通じて感じた監督の深い愛情が、作品全体にも通底していると語りました。
歌舞伎俳優としての本質:「むき出し」の魅力と舞台への覚悟
三池監督は、歌舞伎俳優としての市川團十郎を「むき出し」であると表現します。表も裏もなく、その人間性のすべてが芝居に凝縮されていると感じているそうです。稽古場での正直な姿勢や、時には厳しい一面を見せるものの、座員を大切にする家族のような温かさも持ち合わせていると言います。團十郎という存在は、一般人には想像もできないほどの重責を背負い、舞台に立ち続ける覚悟が求められると監督は述べました。また、台本を記憶し、それを瞬時に引き出す歌舞伎俳優の能力は、映画俳優とは根本的に異なり、その迫力が非常に魅力的だと語っています。
新之助の成長と未来への計画:世代を超えた継承の物語
映画には、團十郎自身の幼少期と、八代目新之助が襲名したばかりの姿が映し出されます。團十郎は、当時の自分と比較して、新之助ははるかに「大人」であり、物事の分別がつくことに驚きを隠しません。芸術に携わる者として、分別がつきすぎることが時に創造性を妨げる可能性にも触れつつ、新之助の才能と可能性を最大限に引き出すための「計画的な育成」の重要性を語ります。褒めるべきは褒め、時には釘を刺しつつも、新之助が将来立派な團十郎となれるよう、父として、そして歌舞伎役者として支えていく決意を示しました。
舞台の裏側:修行とプロセスエコノミーが織りなす歌舞伎の深淵
三池監督は、歌舞伎俳優が努力する姿を見せるべきではないという伝統的な考え方に触れつつ、あえて『襲名』ではその過程もカメラで追った理由を語ります。成田山での修行の光景は、團十郎が歌舞伎の精神性を深く理解し、体現する上での重要な要素であり、その過程を公開することで、観客の歌舞伎への興味を一層深めたいという意図がありました。團十郎もまた、「プロセスエコノミー」の視点から、舞台裏の努力や精神性を共有することで、歌舞伎の裾野を広げ、その本質的な魅力に触れてもらえると信じています。
時を超えた共演:『勧進帳』が紡ぐ親子の絆と歌舞伎の永遠性
映画の終盤では、歴代の市川團十郎が『勧進帳』で「共演」するシーンが描かれます。團十郎は、十二代目の父と十一代目の祖父との共演が、自身にとっての親孝行であると語ります。三池監督は、新之助と團十郎が会ったことのない祖父や曾祖父の芸を受け継ぐという重責に言及し、その修行がいかに過酷であるかを強調しました。歌舞伎を映像で観ることに抵抗がある人もいるかもしれませんが、監督は、この作品を通して、まるでその場にいるかのような臨場感を味わってもらい、歌舞伎という芸術の持つ神秘性、パワー、エネルギーを最大限に伝えることに尽力したと締めくくりました。