れきしぶんか

日本における医療DX推進の課題と未来:現場からの提言

日本政府は、医療現場の効率化を目指し、2030年までに電子カルテの普及率を100%にするという目標を掲げ、医療デジタルトランスフォーメーション(DX)を積極的に推進しています。しかし、その進捗は欧米諸国に比べて遅れているとの指摘も少なくありません。本稿では、周産期医療の分野で国内外の現場に深く関わってきたメロディ・インターナショナルの創業者である尾形優子氏の視点から、日本の医療DXが抱える根深い問題点と、その解決に向けた展望を深掘りします。技術的な側面だけでなく、医療現場特有の「信頼」「責任」「現場の負担」といった人間的要素が、DX導入の大きな障壁となっている実情を明らかにします。

現在の日本の医療DXは、単なる技術導入の問題に留まらず、医療従事者の意識、患者との関係性、そしてシステムが現場にもたらす影響といった多角的な課題に直面しています。電子カルテや遠隔医療といったデジタルツールは、その潜在能力を最大限に引き出すためには、技術提供側と医療現場、そして政策立案者が一体となって取り組む必要があります。本記事では、具体的な事例を交えながら、日本の医療DXが世界レベルで遅れをとっているとされる背景を分析し、未来に向けた効果的な戦略を模索します。

日本の医療DXが直面する現実

日本の医療DXの現状は、厚生労働省が2030年までに電子カルテ共有サービスの普及率100%を目標に掲げ、全国医療情報プラットフォームや電子処方箋の導入を進めるなど、積極的な動きが見られます。実際に、電子カルテの普及率は年々向上し、2025年の調査では病院で77.7%、診療所でも71.0%に達しています。しかし、エストニアやデンマークのように国全体で医療情報を共有するシステムを確立している国々や、アメリカ、イギリス、スウェーデン、シンガポールといった電子カルテ普及率が85~100%に達する国々と比較すると、日本の歩みは緩やかです。この遅れの背景には、単なる技術導入の問題だけでなく、医療現場における「信頼関係」「責任の所在」、そして「現場の業務負担」といった、より複雑な要因が深く関わっていると指摘されています。

尾形優子氏が「なぜ、これほど技術がある日本で、医療DXはなかなか進まないのか」と問いかけるように、日本は高い技術力を持ちながらも、医療分野でのデジタル化が思うように進んでいないのが実情です。海外の僻地でモバイル胎児モニターが母子の命を救う決定的な役割を果たす一方で、日本の医療現場ではデジタル技術の恩恵が十分に活かされていないケースも散見されます。このギャップは、医療システムが長年培ってきた慣習や、患者と医師の間の暗黙の信頼関係、さらにはデジタル化によって生じる新たな責任分担への懸念など、多岐にわたる課題が絡み合っていることを示唆しています。技術的な解決策だけでは不十分であり、医療現場の文化や構造的な問題に踏み込んだアプローチが求められています。

周産期医療から見据えるDXの可能性と課題

周産期医療の現場では、デジタル技術が母子の命を救う重要な役割を果たす場面が少なくありません。例えば、医師が常駐しない遠隔地の診療所で、モバイル胎児モニター「iCTG」が妊婦のお腹に当てられると、胎児の心拍が即座に波形として画面に表示されます。このデータは遠隔地の医師によってリアルタイムで確認され、必要に応じて迅速な搬送判断が可能となります。このようなデジタル技術の活用は、出産が依然として命がけである地域や、病院へのアクセスが困難な村々において、母と子の安全を確保する上で不可欠です。メロディ・インターナショナルが提供する遠隔医療プラットフォームは、ブータン、タイ、ブラジル、アフリカ諸国、そして日本の離島や山間地域といった多様な環境で、医療の格差を埋め、多くの命を救ってきました。

尾形氏の経験は、「なぜ、必要な医療が必要な人に届かないのか」という根源的な問いを浮き彫りにします。デジタル技術は、地理的な障壁や医療資源の偏在といった課題を克服し、医療へのアクセスを改善する大きな可能性を秘めています。しかし、その導入と普及には、技術的な側面だけでなく、法規制の整備、医療従事者のデジタルリテラシー向上、そして何よりも患者とその家族が新しい医療形態を受け入れるための「信頼」の醸成が不可欠です。特に日本では、既存の医療体制や慣習が強固であり、デジタル化がもたらす変化に対して慎重な姿勢が見られることも、DX推進の足かせとなっています。遠隔医療の可能性を最大限に引き出すためには、これらの課題に包括的に取り組み、医療提供者と利用者双方にとってメリットのある持続可能なシステムを構築していく必要があります。

俳優・五頭岳夫の『生涯現役』:年齢を重ねても輝き続ける秘訣

俳優の五頭岳夫氏が執筆した『生涯現役』は、彼自身の波乱に満ちた人生経験を基にした、深い洞察に満ちた一冊です。長年の舞台経験からテレビ、映画へと活躍の場を広げた五頭氏は、40代で重病を患い胃を全摘出する大手術を経験しました。しかし、長い闘病生活を乗り越え、55歳で完全に回復。その後、人気ドラマで存在感のある演技を見せ、「ワンデイ・ワンシーン俳優」として独自の地位を確立しました。彼の言葉には、こうした困難を乗り越えてきた人生の重みが宿っており、多くの読者に強い感銘を与えています。この著作の根底には、「立ち止まりたくない。常に前進し続けたい」という五頭氏の強い意志が流れており、毎日の体調管理に気を配りながら、丁寧に日々を生きる姿勢が描かれています。

また、五頭氏は人間関係の重要性にも触れています。「人間は一人では生きられない」という彼の言葉は、家族、友人、同僚といった他者とのつながりの中でこそ、人は成長できるという信念を反映しています。他者の視線を意識することで生まれる適度な緊張感は、自己を律し、より良い自分へと進化させる原動力となるのです。これは俳優という特殊な職業に限らず、社会を生きるすべての人々に通じる普遍的な真理であると彼は主張します。さらに、80歳を目前に控える現在、彼は「今が一番充実しており、面白い」と語ります。体力的な制約が増える中でも、それを受け入れ、その中で楽しめることを見つける柔軟な姿勢は、多くの世代が学ぶべき点です。人生の後半で訪れる役割の変化や喪失感に対しても、大きな舞台や華やかな肩書きだけでなく、小さな役割にも能動的に関わり、「どうすればもっと良くなるか」と工夫することの中に、日々の輝きを見出すことができると彼は教えてくれます。

五頭氏の言葉は、人生において、年齢や状況に左右されずに常に前向きな姿勢を保つことの重要性を強く示唆しています。彼が自治会の班長として地域活動に積極的に参加しているように、どんなに小さな役割であっても、それを自分事として捉え、改善のために努力する姿勢こそが、人生を豊かにする鍵です。この本を読むことで、読者はきっと自身の生活に共感できる部分を見つけ、新たな一歩を踏み出す勇気を得られるでしょう。人生のいかなる段階においても、新しい役割を積極的に引き受け、それを通じて日々を充実させることの価値を、五頭氏はその生き様をもって私たちに教えてくれます。

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天王山の歴史と文化:加賀正太郎と『蘭花譜』を巡る旅

関西の豊かな歴史と文化を巡る「歴史街道」シリーズの一環として、今回は京都府と大阪府の境目に位置する大山崎の地を深掘りします。ここは、桂川、宇治川、木津川が合流して淀川となる要衝であり、天王山がそびえ立つ景勝地です。特に、羽柴秀吉と明智光秀が雌雄を決した「山崎の戦い」の舞台として名高く、その激戦の地として「天王山」という言葉が重要な局面を意味する代名詞となっています。その一方で、この地域は三川を見下ろす風光明媚な郊外でもあり、明治後期から昭和にかけて活躍した実業家、加賀正太郎がこの地に「大山崎山荘」を築きました。彼がここで心血を注いだのが蘭の栽培であり、その研究の集大成として画集『蘭花譜』を編纂しました。この『蘭花譜』に描かれた絵を用いた絵ハガキを販売する大山崎町歴史資料館を訪れ、加賀正太郎という人物の魅力と、『蘭花譜』に込められた情熱を探求します。

大山崎の地は、古くから京都と西国を結ぶ街道の要衝であり、淀川水運における重要な港でもありました。平安時代には嵯峨天皇が離宮を築き、さらに石清水八幡宮の遷座の地となるなど、歴史的に重要な役割を果たしてきました。中世には、離宮八幡宮が荏胡麻油の販売権を独占し、大山崎油座の商人たちが全国で活躍し繁栄しました。また、戦国時代には「山崎の戦い」が起こり、秀吉が勝利を収めた後、大坂城を築くまでの間、天王山に居城を構えました。この時期、秀吉に仕えた千利休も麓に草庵茶室「待庵」を建て、これは利休作と断定できる唯一の国宝茶室として現在に残されています。幕末には「禁門の変」の際に長州藩士がこの地を拠点とし、激戦の末に多くの命が失われました。近代に入ると、都市の住環境悪化に伴い、自然豊かな郊外への移住が推奨され、大山崎も京都・大阪への交通の便が良いことから注目されました。建築家藤井厚二が自邸「聴竹居」を建設し、木造モダニズム建築の傑作として国の重要文化財に指定されるなど、この地は文化的な発展を遂げました。こうした背景の中、若き実業家である加賀正太郎が天王山に広大な邸宅を構え、その後の彼の活動に繋がっていくのです。

大山崎という場所は、単なる地理的な要衝ではなく、日本の歴史の転換点に何度も立ち会ってきた舞台であり、文化と自然が豊かに融合した特別な場所です。加賀正太郎がこの地で蘭に情熱を傾けたように、多くの人々がこの地の魅力に惹かれ、それぞれの物語を紡いできました。私たちは歴史の足跡を辿りながら、未来へと続く文化の継承と、自然との共生の大切さを改めて感じることができます。

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