本木雅弘、被爆者の声に耳を傾けるジャーナリスト役への挑戦

2026年公開の映画『八月の声を運ぶ男』で、被爆者の証言を丹念に集めるジャーナリスト役を演じる本木雅弘氏。デビューから45年の長きにわたり俳優として活躍してきた彼が、今回の役作りのために長崎で得た深い体験と、そこから生まれた感情について語った。特に、作品の着想源となった人物と映画製作陣への敬意が強く表明されている。
本木氏は取材中、「言葉にするのが難しい」と述べ、手書きのメモを何度も見返しながら、伝えたい内容を懸命に模索する様子を見せた。彼が演じるジャーナリストは、生涯をかけて1000人以上の被爆者の証言を録音した人物であり、そのモデルは、自費で全国を巡り被爆体験を収集した元長崎放送記者の故・伊藤明彦氏である。本木氏にとって、伊藤氏の存在を知ったことが非常に大きな意味を持ったという。
1972年という高度経済成長期において、多くの人々が戦争の記憶を忘れ去ろうとする中、伊藤氏はその流れに逆らい、私財を投じ8年もの歳月をかけて被爆者に寄り添い続けた。時には拒絶されながらも、被爆の真実を伝える「生の声」にこだわり続けた彼の揺るぎない信念と、家庭を持たずにたった一人で取材を進めた生き方は、並大抵のものではなかったと本木氏は語る。伊藤氏は幼少期に長崎へ移住し、原爆投下時には疎開していたものの、直後に長崎に戻り残留放射線によって被爆している。
映画撮影に先立ち、本木氏は伊藤氏が戦後に家族と暮らした長崎の家を訪れ、また長崎放送時代の同僚や上司からも話を聞いた。その時のエピソードを語る前に、本木氏は再びメモに目を落とし、伊藤氏の著書からの引用を読み上げた。「『死者たちの白骨のうえで、彼らが想像もつかないような、便利な、安穏な、経済生活を送りながら、彼らがおちいった運命について、たいして関心もいだかないとすれば、私はどこかしら、人間らしくありません』」。この言葉を読んだ後、本木氏は深く語り始めた。「この感覚で生きていらしたんですね」。伊藤氏の長崎の旧宅は無人だが建物は残っており、本木氏が訪れた際、風で門が開き、誘われるように玄関まで足を踏み入れたという。そこで小さな敷石を一つ拾い、お守りのようにポケットに入れた。さらに後日、一人で山口県の伊藤氏の墓参りに行き、墓石近くに落ちていた枯れ枝を一本持ち帰り、滞在先のホテルに飾って毎朝手を合わせて撮影に臨んだ。「伊藤さんが死者の声に耳を傾けたように、私も心の中で伊藤さんと対話しているような気持ちでした」と、本木氏は語る。
すでに故人である伊藤明彦氏と直接語り合うことはできないが、本木氏をこれほどまでに突き動かしたのは、伊藤氏が抱いていた「野望」への共感であった。「作者不明の歌や物語のように、集められた被爆体験が結晶化し、一つの説話として後世に残り、民話のように語り継がれてほしい。自身の名前は忘れ去られても構わない、それが理想だ」と、伊藤氏は密かに願っていたという。その思いは「灯火」というよりも「メラメラと燃え盛る炎」のようなものであり、本木氏もその一端を担い、この映画を通じて伊藤氏の功績を形にしたいと強く感じている。