熊野の奇岩、神話と歴史が息づく地

写真家・大坂寛氏が、古来より神々が宿ると信じられてきた「磐座(いわくら)」や「神奈備(かんなび)」といった自然の造形美をモノクローム写真で鮮やかに表現しました。今回は、自然崇拝の中心地である熊野に焦点を当て、巡礼者たちを魅了し続けてきた神秘的な奇岩地帯の深奥に迫ります。
三重県熊野市に位置する「鬼ヶ城」は、伊勢志摩地域に連なるリアス式海岸の南端に佇んでいます。この地は、熊野灘の激しい波涛によって長年にわたり浸食され形成された大小さまざまな海蝕洞が連なる、壮大な凝灰岩の断崖絶壁です。かつて「鬼の岩屋」と呼ばれたこの場所は、その圧倒的な自然の力強さが生み出す景観から、古代の人々にとっては畏敬の念を抱かずにはいられない聖地であったことでしょう。海蝕洞の入り口上部は鋭く尖り、内部の壁面や天井には蜂の巣のような独特の模様が刻まれ、床は平坦に広がっています。特に壮観なのは、上下二層構造を持つ最大の洞窟「千畳敷」です。
鬼ヶ城には、歴史に名高い「鬼退治伝説」が語り継がれています。桓武天皇の時代(781年~806年在位)、熊野周辺の海域を荒らしまわり「鬼」と恐れられた海賊、多娥丸(たがまる)がこの地を拠点としていました。桓武天皇の命を受け、征伐に向かった武将・坂上田村麻呂は、荒れ狂う海に苦戦を強いられますが、童子の姿をした神の助けを得て、見事弓矢で多娥丸を討ち果たしたと伝えられています。討ち取られた多娥丸の首は、熊野市井戸町に鎮座する大馬(おおま)神社に埋葬されたという伝説が残されています。
鬼ヶ城から南へ少し進むと、七里御浜(しちりみはま)の海岸線に、高さおよそ25メートルにも及ぶ異形の岩「獅子巌(ししいわ)」がそびえ立っています。この岩は、あたかも獅子が海に向かって雄叫びを上げているかのような姿に見えることからその名が付けられました。獅子巌は大馬神社の守護獣である狛犬(こまいぬ)とされており、海賊の怨霊を威圧するかのように鎮座しているかのようです。毎年5月中旬から6月下旬にかけては、日の出直後のわずかな時間、獅子が朝日を口に含んでいるかのような神秘的な光景を目にすることができ、多くの見物客が早朝から訪れます。これら鬼ヶ城と獅子巌は、ともに国の名勝および天然記念物「熊野の鬼ヶ城 附(つけたり) 獅子巌」に指定されており、さらに「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産にも登録されています。
大坂寛氏のレンズを通して、熊野の鬼ヶ城と獅子巌は、単なる自然景観以上の存在として浮かび上がります。そこには、古代の人々が抱いた自然への畏敬の念、神話に彩られた歴史、そして現代に生きる私たちに語りかける神秘的な物語が凝縮されています。これらの場所は、訪れる人々に深い感動と、悠久の時を超えて受け継がれてきた精神性を感じさせるでしょう。