「目覚めると、ひとりだと気づく 家族が過ごした最期の日々」書評:大切な人を喪う悲しみと向き合う

愛する家族との突然の別れ。それは人生で最も辛く、避けがたい経験の一つである。阿川佐和子、加賀乙彦、小池真理子ら著名な作家陣が綴った『目覚めると、ひとりだと気づく 家族が過ごした最期の日々』(文春新書)は、そうした深い喪失感をテーマにした珠玉の作品集だ。本書は、2002年から2021年にかけて月刊「文藝春秋」に掲載された寄稿やインタビュー、対談をまとめたもので、それぞれの著者たちが経験した肉親との別れ、そしてその後の心の軌跡を赤裸々に描いている。彼らの個人的な体験を通して、私たちは「悲しみは時が癒してくれる」という通説が必ずしも真実ではないことを痛感させられる。
本書に収録されている作品群は、母、父、妻、夫といった様々な対象との別れを扱っており、それぞれの状況も多岐にわたる。しかし、それらの物語に共通して流れるのは、避けられない深い悲しみという感情である。感情の受け止め方や向き合い方は人それぞれだが、喪失の痛みそのものは普遍的であり、決して「なかったこと」にはできない。この本を読み進めるうちに、読者は「もし自分だったらどうするだろう」と、自らの人生における別れについて深く考えさせられることだろう。特に印象的なのは、作家である加賀乙彦氏の記述である。
2008年11月19日の夜、加賀氏は妻に「おやすみ」と告げ、先に寝室に入った。その時、妻はリビングで翌日の長崎旅行の準備をしていた。まさかその言葉が、妻との最後の会話になるとは、彼は夢にも思わなかっただろう。午前3時頃、目を覚ました加賀氏は、隣に妻がいないことに気づく。不安に駆られて家中を探し回った結果、風呂場の浴槽の中で、冷たくなった妻を発見する。医師でもある彼は、可能な限りの蘇生術を試みたが、妻の意識が戻ることはなかった。加賀氏は、自分自身を責める気持ちに囚われたが、それは誰にでも起こりうる突然の悲劇であり、彼の責任ではない。しかし、このように突然訪れる別れは、残された者に計り知れない衝撃と深い思考をもたらすことを、彼の冷静な筆致が物語っている。
後に監察医の診断により、妻の死因はくも膜下出血であり、死亡時刻は加賀氏が「おやすみ」と声をかけた約1時間後の午後11時頃であったことが判明する。加賀氏は、「妻は湯に浮いている時に意識を失い、苦しまずに逝ったことだけが唯一の慰めになった」と述べている。その後、通夜と告別式が執り行われ、淡々と時間が過ぎていく。しかし、妻の遺骨を菩提寺に納めようとした際、キリスト教徒である妻の納骨を寺側に拒否されるという予期せぬ困難に直面する。最終的には、金沢の菩提寺に墓を建立し、東京の墓は廃することになったという。寺側の事情も理解できるが、遺族にとっては複雑な心境であったに違いない。
加賀氏のこの記述は2010年冬に書かれたものである。彼は2023年に老衰で逝去されるまで、長い間独り暮らしを続けられた。彼の胸中に去来する思いを完全に理解することは難しいが、誰にでもいつか訪れるであろう「別れ」という普遍的なテーマについて、読者に深く向き合うきっかけを与える。本書は、悲しみを乗り越える過程において、私たちは孤独ではないこと、そしてそれぞれの形での「癒し」を見出すことができるという希望のメッセージを静かに伝えている。