神戸と芦屋に息づく、地元愛が生んだソウルフードの物語

芦屋の著名なシャルキュトリー「メツゲライクスダ」の店主、楠田裕彦氏が、自身のルーツである神戸と現在の活動拠点である芦屋で長年親しまれている飲食店「ひかりや」の魅力を深く語ります。特に、戦後の困難な時代に労働者の「温かい食事を」という願いから誕生した「やきめし(そばめし)」は、神戸を代表する郷土料理として、そして楠田氏自身の少年時代の思い出と強く結びつく、かけがえのない存在です。熟練の職人技で丹念に作られる料理と、時を超えて変わらない温かな味わいが、地域の人々に愛され続ける理由を紐解きます。
「ひかりや」:神戸が誇る「そばめし」の原点と歴史
阪急春日野道駅の高架下にある「ひかりや」は、神戸の地で長きにわたり愛され続けている名店です。特に「やきめし(そばめし)」は、その店の代名詞ともいえる存在。シャルキュトリー職人の楠田裕彦さんが幼少期から家族と共に足繁く通ったこの店は、単なる行きつけではなく、彼自身の記憶や神戸の街の風景と深く結びつく、特別な場所となっています。創業は昭和25年。戦後間もない三宮の「ジャンジャン横丁」で産声を上げ、その後現在の春日野道へと移転しました。この「やきめし」の誕生は、戦後の混乱期に「冷えたご飯を温かく食べたい」という労働者の一言から始まったと伝えられています。焼きそばとご飯を鉄板で一緒に炒めるというシンプルな発想から生まれたこの一皿は、今や神戸のソウルフードとして広く知られるようになりました。大きな鉄板の上で、豚肉、キャベツ、中華そば、ご飯が次々と投入され、店主・光元勇一さんと長年店を支えるスタッフによるリズミカルで無駄のない手さばきで、香ばしい一品へと変貌していきます。その光景は、まさに店の歴史そのものを物語っており、鉄板料理の醍醐味を存分に感じさせてくれます。
楠田さんが「ひかりや」で必ず注文するのが「ぶた焼き」です。店主の光元さんは、キャベツの糖度を考慮しながら産地を選び、最高の状態でお客様に提供するための細やかな気配りを怠りません。この言葉からも、長年愛される味を守り続けるための、職人のこだわりと情熱が伝わってきます。焼きたての「ぶた焼き」が卓上の鉄板に運ばれると、楠田さんはテコで丁寧に切り分け、一口。そして、神戸の食文化には欠かせない「どろソース」をひとかけします。湯気とともに立ち上る香りに包まれながら一口頬張ると、自然と笑みがこぼれます。楠田さんは「変わらない、いつもの味ですよ」と語ります。この「ひかりや」の料理が単においしいだけでなく、幼い頃の思い出、家族との温かい時間、そして神戸という街そのものを思い出させてくれる、そんな「一皿」の存在は、私たちにとって何よりも幸せなことなのかもしれません。
楠田裕彦氏が語る、食と記憶が織りなす「特別な存在」
芦屋で「メツゲライクスダ」を営む楠田裕彦氏は、神戸出身のシャルキュトリー職人として、食に対する深い造詣と地元への愛情を持っています。彼にとって「ひかりや」は、ただ食事をする場所ではなく、自身の成長と共にあった神戸の風景や家族との思い出と密接に結びついた「特別な存在」です。幼い頃から家族と共に通い続けたこの店は、単なる日常の一部ではなく、人生の節目節目に寄り添ってきた記憶の拠り所なのです。彼は、その変わらない味と温かい雰囲気の中に、故郷の温もりを感じると語ります。戦後復興期の神戸で、働く人々の空腹を満たすために生まれた「やきめし」が、時代を超えて多くの人々に愛され続ける理由も、その背景にある「食」が単なる栄養摂取ではなく、人々の心をつなぎ、記憶を呼び起こす力を持っているからだと、楠田氏は示唆しています。
楠田氏が「ひかりや」で感じるのは、単なる料理の味だけではありません。それは、店主の光元氏と長年店を支えるスタッフが、積み重ねてきた歴史の中で磨き上げてきた「熟練の技」と「変わらぬ心」です。大きな鉄板の上で、まるで音楽を奏でるかのようにリズミカルに炒められる具材、キャベツの産地を吟味する細やかな配慮、そして神戸ならではの「どろソース」が加わることで完成する、唯一無二の味わい。これら全てが、楠田氏にとっての「ひかりや」を構成する大切な要素です。一口食べるごとに、幼い頃の記憶が鮮明に蘇り、家族との温かい会話が聞こえてくるような感覚に包まれます。彼にとって、「ひかりや」の料理は、神戸という街が持つ歴史、文化、そして人々の温かさを凝縮した「ソウルフード」であり、その味を守り続けることの重要性を改めて感じさせてくれる場所なのです。