芳賀日出男の民俗写真:福島に息づく「田の神」信仰の記録









日本民俗写真の巨匠、芳賀日出男氏が1950年代以降に福島県内で記録した民俗写真のデータが、2026年夏に地元へと寄贈されました。これらの画像は、現代において失われつつある古来の生活様式や文化を伝える貴重な資料であり、既に地域社会でその価値が認められ、活用が始まっています。
芳賀氏が写真家としての道を歩むきっかけとなったのは、1952年の年末に勤めていた通信社が解散し、職を失ったことでした。彼は心機一転を求め、父の故郷である福島県石城郡渡辺村(現在のいわき市渡辺町)の親戚宅を訪れました。そこで彼は、農家に伝わる独特な正月行事と出会います。高度経済成長期を迎える前の農村には、素朴ながらも力強い「田の神」信仰が深く根付いていました。新年の始まりには、家の主や長男が新穀の藁を依代として、豊作の神である「正月さま」を迎える習わしがありました。この神は春に再び訪れ、田んぼに豊かな稲穂をもたらし、秋の収穫が終わると山へと帰ると信じられていました。目に見えない神を身近に感じ、自然の恵みを願う人々の姿に、芳賀氏は深く感銘を受け、レンズを通してその儀式や、心を込めて作られる祭具、供物などを記録しました。彼の大学時代の師である民俗学者・折口信夫が提唱した「まれびと(神の来訪)」の概念が、彼のファインダー越しに鮮やかに立ち現れた瞬間でした。元旦に「正月さま」を祭壇に祀る様子、冬枯れの田を鍬で耕し、新年の豊作を祈る「農立て」、正月13日には「正月さま」の代わりに餅を小枝に刺した「餅花」を飾る習慣、そして正月14日の夜には囲炉裏に並べた12粒の大豆の焼け具合で天候を占う「豆占」など、福島の多様な正月文化を芳賀氏は詳細に捉えました。さらに、現在も続く小正月行事「鳥小屋」では、子どもたちが中心となって竹や藁でできた小屋を燃やし、正月飾りと共に「正月さま」を天へと送り返すという、豊かな伝統が記録されています。
いわきで撮影されたこれらの記録は、芳賀氏の初の写真集『田の神―日本の稲作儀礼―』(平凡社、1959年刊)の冒頭を飾る重要な作品となりました。芳賀氏は序文で、その撮影意図を次のように記しています。「私たちの祖先は二千年もの間、稲作に携わり、一日たりとも豊作を祈らずにいられなかった。この切なる願いから、農民の間に『田の神』信仰が生まれ、稲作の儀礼が確立された。日本の習俗、年中行事、祭礼、芸能、神話の多くは、この田の神信仰の影響を受けている。日本の稲作儀礼は、私たちの生活意識や社会構造を理解する鍵の一つである。(中略)ここに集録された儀礼は、昭和28年から32年まで現存していたもので、信仰と生産、娯楽が一体となった伝統的な社会を映し出している。しかし、今日では科学の力によって豊作がもたらされる時代となり、農業技術の進歩と農村生活の近代化が、この三者未分化の社会を急速に解体しつつある。今こそ、稲作儀礼を記録に残すべき最後の時代である。」彼の予見通り、稲作儀礼は全国的に簡素化され、多くが消滅の道をたどりました。しかし、『田の神』に収録された広島県「壬生の花田植え」や石川県「奥能登のアエノコト」は、後にユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、その文化的な価値が高く評価されています。芳賀氏は、このような「未来に継承すべき民俗」を追い求め続け、101歳でその生涯を閉じました。
芳賀日出男氏が残したこれらの写真は、単なる過去の記録に留まらず、現代に生きる私たちに、自然と共生し、文化を育んできた先人たちの知恵と精神を教えてくれます。彼の作品は、私たちが大切にすべき伝統の価値を再認識させ、未来へと繋ぐための重要な道標となるでしょう。この貴重な遺産が、地域社会の活性化と文化継承の一助となることを願ってやみません。