長谷川あかり氏のエッセイ集が問いかける現代の食卓事情

料理家である長谷川あかり氏の初の著書『タコ セロリ アボカド』は、日々の食卓がもたらす重圧から解放され、より自然体で料理と向き合うための新たな視点を提供しています。本書は、完璧な食事を追求するのではなく、「これ以上はしなくていい」という独自のルールを提唱することで、多くの読者、特に家庭で料理を担う人々に共感を呼び、精神的な余裕と穏やかな食生活を取り戻すきっかけを与えています。
筆者が長谷川あかり氏の名前を耳にするようになったのは数年前。料理好きの娘が、彼女のレシピや考え方について熱心に語る姿を通して、その存在を知ることになりました。当初、氏のことは存じ上げなかったものの、娘が作る料理が以前よりも優しい味わいになったことから、「これが長谷川あかり流の味なのか」と実感。その後、テレビで彼女の若々しく快活な姿を目にし、新世代の料理家が台頭していることを認識しました。このような経緯から、氏初の書き下ろしエッセイ集『タコ セロリ アボカド』(文藝春秋)に自然と興味を抱くことになりました。
本書を読み進める中で、料理が苦手な筆者でさえ深く納得する内容が記されていました。特に印象的だったのは、結婚後の料理に対する心境の変化についてです。当初は、パートナーが自分の作った料理を喜んでくれることが何よりも嬉しかったという長谷川氏。しかし、いつしか「毎日きちんとした食事を作らなければ」という義務感とプレッシャーに苛まれるようになったと綴られています。料理への意欲が失われたわけではなく、理想とする食卓のイメージも明確にあるものの、日々の疲れが先行してしまい、思うようにいかない現実があったといいます。これは、多くの人が経験するであろう共感性の高いエピソードです。
そうした葛藤の中で、自分を責める時期も経験した長谷川氏は、このままではいけないと感じ、「これ以上はしなくていい」という独自の原則を自身の内に設けることを決意します。この考え方の根底には、「家庭料理はあくまで生活の一部に過ぎず、物理的に不可能なことを最初から無理して行う必要はない」という哲学があります。この新しい視点を取り入れた結果、停滞していた日々の食事が再びスムーズに進むようになったと述べられています。例えば、最も負担が大きいと感じていた夕食については、「最大でも一汁二菜まで」と決めることで、それ以上の品数が増えることはほぼなくなったそうです。
具体的な実践としては、夫の帰宅時間に合わせてご飯を炊き始め、その間に深めのフライパンでメイン料理を「適当に」調理します。メインは、酒蒸しにするか、何かを弱火でじっくり焼くかのどちらか。火にかけている間に、旬の野菜を使った簡単な和え物と、残り物や乾物を利用した汁物を作れば、それで食事は完成です。このシンプルで効率的な方法は、毎日続ける上で非常に効果的であり、必要な栄養素も摂取でき、ご飯もしっかり食べられるため、満足感も得られます。しかも、調理にかかる時間はわずか20〜30分程度。これなら、疲れている日でも苦痛を感じることなく料理と向き合えるといいます。食べる側からしても、このような考え方はまったく不自然ではありません。
「これ以上はしなくていい」というルールを設けたことで、長谷川氏には時間的にも精神的にもゆとりが生まれ、穏やかな気持ちを取り戻すことができたそうです。他にも、「メインの食材はタンパク質源と野菜の2種類まで、副菜は野菜1種類で十分」「炊き込みご飯の日は一汁一菜でOK」「切り干し大根やひじき煮、きんぴらごぼうなど、市販品で手に入る副菜は作らない(生野菜の和え物が基本)」「毎日違う料理を作る必要はない」「美味しすぎなくていい」「そもそも毎日料理しなくていい」といった、具体的な「しないことリスト」が紹介されています。これらの項目を見るだけでも、料理に対する肩の荷が下り、食欲が刺激されるような感覚を覚えます。そして、「美味しいもの」とは必ずしも高級な食材や手の込んだ調理法を意味するものではないと、改めて実感させられます。料理を作る立場であれば、なおさらこの実感が深まることでしょう。
余計な思い込みや完璧主義を手放したことで、著者は自分自身や家族の心身と、より誠実に向き合えるようになったといいます。さらに、「しなくていいこと」が明確になったことで、相対的に「したいこと」が浮き彫りになったという話も、非常に納得のいくものです。家庭料理は永続的なものであり、外食のような完璧な仕上がりは求められません。「もう少し食べ続けていたかったな」と感じるような、優しくシンプルな味わいの料理がちょうど良いのです。たとえ毎日同じような味付けになったとしても、それが「我が家の味」として定着するならば、それこそが理想的な食卓の形ではないでしょうか。筆者自身も、妻が余ったご飯で作ってくれる塩むすびが、どんな手の込んだ料理よりも美味しいと感じています。だからこそ、素人ながらに彼女の哲学に深く共感できるのです。娘にこの本の話をしたところ、「読みたい、気になっていたから」という返答がありました。本を渡せば、また美味しい料理を作ってくれるかもしれません(そろそろ、自分で料理をしてみるべきですが)。