れきしぶんか

80代現役女医の生涯現役と性差医療への貢献

83歳という高齢にもかかわらず、精力的に活動を続ける女性医師、天野惠子氏が、人生の終盤における「老い」との向き合い方と、充実した日々を送るための心構えについて洞察を述べています。更年期を乗り越え、健康な高齢期を迎えるための準備、そして90代へと続く道のりにおける自身の役割について考察します。

現代日本は世界に類を見ない超高齢社会に突入しており、65歳以上の人口は全体の29%、75歳以上は17%を占めています。多くの生物が生殖機能の終了と共に生涯を終える中、人間は閉経後も長い老年期を過ごします。この「老後」が存在する理由は、次の世代に知識や経験を伝えるためではないかと天野氏は考えています。この信念に基づき、彼女は残された人生を社会貢献のために捧げたいと語ります。

天野氏が特に情熱を傾けるのは、性差医療の普及啓発活動です。男性と女性では病気の現れ方や薬剤の効果に違いがあるにもかかわらず、その重要性はまだ十分に認識されていません。この状況を改善するため、彼女は若手医師の育成に尽力し、日々様々な活動を展開しています。その活動の一環として、長年提唱してきた「女性の健康ナショナルセンター」の設立が、昨年、国立成育医療研究センター内に実現しました。これは日本初の女性の健康課題に特化した専門組織であり、女性の健康に関する司令塔としての機能を担い、女性特有の疾患や性差医療の研究開発を推進する画期的な取り組みです。人生100年時代を支える上で、女性のライフステージと性差に注目した意識改革と臨床・研究は不可欠であると強調し、日本性差医学・医療学会の創設者として、このセンターの発展を今後も支援していくと述べています。

この著名な医師は、高齢期を健康で活力に満ちたものにするための秘訣、そして性差医療の重要性を世に広めるための努力を惜しまない姿勢を示しています。彼女の経験と知識は、多くの人々にとって、来るべき老後を前向きに捉え、社会と関わり続けることの意義を教えてくれます。

定年後の新たな人生:熟年離婚を経験した元国家公務員の模索

人生100年時代において、定年後の人生設計はますます重要になっています。本稿では、予期せぬ熟年離婚を経験した元国家公務員の男性が、人生の再構築にどう向き合い、新たな幸福を見つけていくのかを探ります。彼の経験は、多くの読者にとって示唆に富むものとなるでしょう。

失われた家族と見つめ直す自己

予期せぬ熟年離婚:長年の貢献の末に訪れた孤独

東京都郊外に暮らす洋一さん(65歳)は、5年前に突如として熟年離婚を経験しました。20年以上にわたる妻の周到な準備により、退職の年に結婚30年の妻から離婚届を突きつけられ、娘と共に家を出ていきました。洋一さんは、給料全額を妻に渡し、小遣い生活を送っていた自身の状況と、家族からの「人生を台無しにされた」という言葉に、深い困惑と悲しみを覚えました。弁護士を通じての連絡は可能ですが、妻子の現在の居住地は不明です。

輝かしいキャリアと家庭の乖離:元国家公務員の意外な一面

洋一さんは、名門国立大学を卒業後、国家公務員として青少年教育部門で堅実にキャリアを築き、出世の道を歩みました。都心部の格安な官舎に住みながら、相当額の貯蓄を妻に預けていましたが、その大半は離婚と共に失われました。彼は定年後、三浦半島での穏やかな生活を夢見ていましたが、その計画も頓挫しました。

新たな住まいと趣味:父との同居生活と古地図の魅力

定年退職後、官舎を出る必要があった洋一さんが選んだのは、実家への帰還でした。現在は85歳の父親と二人暮らしで、経済的な困窮はないものの、人生の虚無感に苛まれています。友人も少なく、このままではいけないと感じた彼は、古地図の勉強会に参加し、新たな居場所を見つけました。そこで筆者と出会い、彼の複雑な内面が明らかになっていきます。

「自分の住所が分からない」:仕事一筋の男性が直面した現実

筆者は洋一さんを、筋肉質で背が高く、知的な紳士だと感じていましたが、その眼差しには並々ならぬものがありました。2年以上もの間、自身のことを語ろうとしなかった洋一さんは、他者への強い警戒心を抱いていました。彼は「職業柄、他人だけでなく家族も信じていなかった」と語り、質問されると詮索されていると感じてしまう癖が抜けずにいました。定年後はただの人であるにも関わらず、生活の全てを妻に任せていたため、「自分の住所さえ分からなかった」という驚くべき事実を明かしました。これは、仕事に没頭するあまり家庭を顧みず、行政手続きや子供の学校の書類なども妻任せにしていた多くの男性に共通する現実かもしれません。洋一さんは転居の手続きの際、長年住んだ家の住所を書くことができなかったと振り返ります。

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難読名字「及位(のぞき)」の深層を探る:その読み方と意外なルーツ

名字研究家の森岡浩氏が、一見しただけでは読み方が全く想像できない難読名字「及位(のぞき)」について解説します。その奥深いルーツを知ることで、日本の名字の世界の多様性と面白さを再発見できるでしょう。

名字の謎を解き明かす旅:あなたのルーツはどこに?

「及位(のぞき)」:日本に存在する究極の難読名字の秘密

「及位」という名字は、使われている漢字自体はそれほど複雑ではありませんが、初めて目にする人にとっては、その正しい読み方を推測することは極めて困難です。しかし、この名字は意外な場所でその知名度を確立しています。それは、JR奥羽本線に存在する「及位駅」。この駅名もまた「のぞき」と読まれ、難読駅として鉄道ファンにはよく知られています。この事実が示す通り、「及位」という名字は、その地域の地名に由来していることが明らかです。

山形県と秋田県にまたがる「及位」の地理的背景と修験道との繋がり

及位駅は、山形県最上郡真室川町に位置し、秋田県との県境近くの山間部にひっそりと佇む無人駅です。この地域の近くにある甑山(こしきやま)は、中世において修験道の重要な修行の場でした。伝えられるところによると、修験者たちは厳しい修練を積んだ後、山頂の断崖から吊り下げられ、宙吊りの状態で断崖の中腹にある「赤穴」と呼ばれる岩の裂け目にある仏像を「のぞき」拝むという究極の修行を行いました。この難行を達成した者は「高い位に及んだ」とされ、これが「及位」という地名の起源になったという説が有力です。ただし、この名字「及位」は、特に秋田県、それも秋田市と三種町に多く見られます。これは、秋田県にもかつて出羽国由利郡及位村、現在の由利本荘市及位という地名が存在したためです。この秋田の「及位」も、古くから存在した「のぞき」という地名に、有名な「及位」の漢字を当てたものと考えられています。地名「のぞき」の由来については複数の説がありますが、浸食作用によって形成された山間部の地形を指すという見方が一般的です。

名字研究の第一人者、森岡浩氏のプロフィール

姓氏研究家である森岡浩氏は、1961年に高知県で生まれました。早稲田大学政治経済学部在学中から独学で名字の研究を始め、今日に至るまでその探求を続けています。歴史学、地名学、民俗学など多岐にわたる分野からのアプローチを通じて、長い歴史の中で多くの不明な点を持つ名字の世界を深く掘り下げています。文献のみに頼らず、幅広い視点から研究を進めるその姿勢は、多くの支持を得ています。代表的な著書には「全国名字大辞典」などがあります。

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