れきしぶんか

Perfume25周年ドキュメンタリー映画:佐渡岳利監督が語る「活動凍結」の真相と進化の軌跡

結成25周年を記念して、グループの「活動凍結」を選択したPerfume。その決断に至るまでの道のりと、これまでの25年間の歩みを記録した映画『Perfume“コールドスリープ”-25 years Document-』が公開されます。長年にわたり3人の活動を間近で見てきた佐渡岳利監督の視点から、Perfumeの表現が世界中の人々に響いた理由を探ります。

Perfume『コールドスリープ』の舞台裏:佐渡岳利監督の証言

Perfumeへの密着取材が始まったのは、彼女たちが2019年にアメリカの有名音楽フェスティバル、コーチェラに出演した時期です。当初の計画は、2020年の結成20周年に合わせた新しいドキュメンタリー映画の制作でした。しかし、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、多くの大規模プロジェクトが中止となり、撮影も一時中断を余儀なくされました。その後、状況が落ち着き、「25周年のドキュメンタリー」としてプロジェクトが再始動しました。

その制作過程で、Perfumeは「コールドスリープ」という、活動を一時的に休止する重大な決断を下します。この発表は、密着取材を続けていた佐渡監督にとっても予期せぬものでした。監督は当初その報に驚きを隠せなかったものの、深く考えるうちに、それはグループにとって非常に意味のある、素晴らしい選択だと感じるようになったと振り返っています。

変わらぬ本質と絶え間ない進化

佐渡監督とPerfumeの交流は長く、グループの代表曲「ポリリズム」がNHKと公共広告機構(現ACジャパン)のキャンペーンに採用され、大ヒットした2007年頃にまで遡ります。それ以来、監督は音楽番組などを通じて約20年近く彼女たちを見守ってきました。

監督が語るPerfumeの3人の変化について、まず挙げられたのは「根本的な部分は全く変わっていない」という意外な言葉でした。もちろん、アーティストとしての技術や表現力は飛躍的に向上しており、その実力はデビュー当時とは比べ物にならないほど進化しています。しかし、その成長は一朝一夕に得られたものではなく、日々の地道な努力と積み重ねの結果だと監督は強調します。

「ポリリズム」の大ヒットはPerfumeにとって大きな転機でしたが、佐渡監督はその出来事だけを唯一のターニングポイントとは捉えていません。幼い頃からのたゆまぬ努力が、幸運を引き寄せたのだと考えています。そして、成功を収めてもなお、彼女たちが謙虚さを失わず、常に「3人で一つ」という意識で活動してきたことを、監督は高く評価し、その真摯な姿勢を映画で正確に伝えたいと語っています。あ~ちゃん、かしゆか、のっち、それぞれの個性はそのままに、互いに作用し合いながら「3人で何ができるか」を追求するPerfumeの姿が、作品を通して深く描かれることでしょう。

北軽井沢「あさま空山望」5周年記念、ニコライ・バーグマンと織りなす花と絶景の物語

北軽井沢の静寂な森に佇む一棟貸しヴィラリゾート「あさま空山望」が、開業5周年を迎え、世界的に著名なフラワーデザインブランド「Nicolai Bergmann Flowers & Design」との特別な協業プランを発表しました。この記念すべき取り組みは、「空と山と、五感が、息づくあさま、その奥へ」というテーマのもと、自然の雄大さと芸術的な美意識が融合した、他に類を見ない滞在体験を提供します。

北軽井沢の自然美と花の芸術が織りなす至福の空間

群馬県北軽井沢に位置する「あさま空山望」は、その全棟から浅間山の壮大な姿を正面に望むことができる、まさに「絶景を独占する」ような贅沢なロケーションが魅力のリゾートです。著名デザイナーであるコシノジュンコ氏が監修したこの地で、開業5周年を記念して「Nicolai Bergmann Flowers & Design」との特別なコラボレーションが実現しました。この企画の象徴となるのは、リゾート内でも最高級とされるプレジデンシャルスイート「ポラリス」に設けられた、一日一組限定のコンセプトルームです。

この特別な宿泊プランでは、滞在のあらゆる瞬間に華やかな彩りが添えられます。特に注目されるのは、「Nicolai Bergmann Flowers & Design」の象徴とも言えるフラワーボックスです。北軽井沢の深い夜空と力強くそびえ立つ浅間山から着想を得て、5種類の花材が7色のグラデーションで表現されており、この場所でしか手に入らない限定品として宿泊者に提供されます。

コンセプトルームのリビングスペースには、本プランのために特別に制作された「プリザーブドフラワーウォール」が設置されています。20種類以上のバラ、カーネーション、アジサイなどが精緻に配置され、モダンな建築空間に息をのむような華やかさを加えています。窓外に広がる浅間山の雄大な稜線と、室内で永遠の美しさを湛える花々が織りなすコントラストは、日常の喧騒から隔絶された、深い安らぎと感動をもたらしてくれるでしょう。さらに、宿泊者専用ラウンジにも「Nicolai Bergmann Flowers & Design」の作品が展示され、リゾート全体がこの特別な期間だけの華やかな雰囲気に包まれています。

自然とアートの融合が心にもたらす豊かな体験

この「あさま空山望」と「Nicolai Bergmann Flowers & Design」のコラボレーションは、単なる宿泊体験を超えた、五感を刺激する芸術作品のような滞在を提案しています。雄大な自然の中で、洗練されたフラワーアートに囲まれることで、訪れる人々の心は日常から解き放たれ、深い癒しと新たなインスピレーションを得られるのではないでしょうか。この特別な空間は、私たちに自然の美しさと創造性の無限の可能性を再認識させ、心豊かな時間を提供してくれるでしょう。

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渋沢敬三:戦後経済復興の立役者、その驚くべき決断

第二次世界大戦の終結後、日本は未曾有の経済危機に直面していました。敗戦によって国土は荒廃し、物資は枯渇、深刻なインフレと巨額の戦時国債が経済を圧迫していました。このような絶望的な状況の中、日本資本主義の父と称される渋沢栄一の孫である渋沢敬三は、幣原喜重郎内閣の大蔵大臣として、日本経済の再建という重責を担います。彼は、この国家存亡の危機を乗り越えるため、GHQすらも驚愕させるような大胆かつ困難な政策を断行しました。その政策とは、国民の財産に課税する「財産税」、そして「新円切替」と「預金封鎖」を柱とするものでした。これらの措置は、国民に多大な負担を強いるものでしたが、日本が経済的な破綻から立ち直るための不可欠な手段だったのです。

戦後日本経済を救った渋沢敬三の決断

1945年、戦争終結後の日本は、経済的な困難の極みにありました。海外領土の喪失により国土は半減し、戦禍で国内は焦土と化していました。徴兵による労働力不足に加え、軍事産業への偏重が食料や日用品の生産力を奪い、物資供給は極限まで逼迫。復員兵の帰還で労働人口は回復するものの、雇用の場は少なく、需要の増加がさらなるインフレを招き、通貨価値は暴落の一途を辿りました。さらに、戦時中に発行された1500億円もの「戦時国債」が財政を圧迫していました。このような状況下、大蔵大臣に就任した渋沢敬三は、池田勇人ら大蔵省の精鋭たちと共に、日本経済の再生に向けた議論を重ねました。彼らが導き出した結論は、「財産税」による巨額の戦時国債処理でした。

渋沢敬三が提唱した「財産税」は、国民の貯金、有価証券、不動産など、あらゆる財産に課税するという画期的なものでした。彼は「漏れなく公正に、そして一度限り」という原則を掲げ、財産額に応じて25%から最高90%という税率を設定しました。この政策は、戦時中に富を築いた「戦争成金」との格差是正も意図していました。GHQはこの大胆な提案に驚きを隠せませんでしたが、日本の経済再建と財閥解体というGHQの占領方針とも合致する部分があったため、その実現を後押ししました。

しかし、国民の保有資産を正確に把握することは容易ではありませんでした。特に隠匿された「タンス預金」の問題は深刻でした。そこで渋沢敬三は、さらに踏み込んだ政策として「新円切替」を断行します。旧紙幣の使用を禁止し、新たな紙幣を導入することで、隠された資産を表に出させる狙いでした。当時の日本は、戦争による印刷機や紙、インクの枯渇、そして全国への配布手段の不足という厳しい状況にありましたが、薄い紙で作られた証紙を旧紙幣に貼るという方法で「新紙幣」として流通させました。それでもインフレは止まらず、最終的には「預金封鎖」にまで踏み切ります。これにより、全国民は一時的に月に500円という生活を強いられることとなりました。これらの過酷な政策は、渋沢敬三自身の私財をも失わせるものでしたが、彼の断固たる決断によって、日本は経済的な「沈没」を免れ、復興への道を歩み始めることができたのです。

渋沢敬三の行った金融緊急措置は、その過酷さゆえに多くの国民に苦痛を強いました。しかし、彼の断固たるリーダーシップと先見の明がなければ、戦後日本の経済はさらなる混乱に陥り、現在の繁栄はなかったかもしれません。この歴史から学ぶべきは、国家の危機においては、時に常識を覆すような大胆な決断が求められるということです。また、公平性と透明性を追求し、国民全体の利益のために私欲を捨てるリーダーシップの重要性も再認識させられます。彼の偉業は、単なる経済政策に留まらず、国家再建の礎を築いた不屈の精神の証であると言えるでしょう。

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