新橋駅の歴史:路面電車からSL広場、そして未来へ

時を超えて、新橋の街並みが語る物語
時代が移り変わる新橋の姿:失われた風景と新たな息吹
昭和の時代が終わりを告げてから、すでに三十八年の歳月が流れております。半世紀以上を経験された方々にとって、その時間の流れは特に感慨深いものでしょう。新橋駅周辺をかつて走っていた路面電車、特に都電6系統が姿を消してから五十九年が経過しました。また、新橋駅に隣接していた貨物専用の汐留駅も、大規模な再開発により、現在では近代的な高層ビル群へと生まれ変わっています。大正時代には、この駅周辺の地域は烏森町、愛宕下町、源助町、芝口町、そして日蔭町といった名称で呼ばれていましたが、これらの旧地名を知る人はもはや数少ないかもしれません。本記事では、長年にわたりビジネスパーソンの拠点として親しまれてきた「新橋」の過去と現在の姿を、貴重な写真資料を交えながら深く探求していきます。
噴水が彩った西口広場:SL広場に秘められた歴史
新橋駅周辺で人々が待ち合わせをする際の象徴的な場所であるSL広場は、別名「西口広場」とも称され、JR新橋駅の日比谷口に面しています。新橋駅には日比谷口、銀座口、汐留口、烏森口の四つの主要な出入口が存在します。新橋の代名詞ともいえる駅前のランドマーク、蒸気機関車(SL)がこの地に姿を現したのは、今から五十四年前、1972年(昭和47年)12月のことでした。これは、日本における鉄道開業から数えて100周年という記念すべき節目を祝い、港区が当時の日本国有鉄道の協力を得て設置したものです。このSLは、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)2月に日本車輌で製造された「C11形292号」という、通称「戦時型」と呼ばれる蒸気機関車です。その歴史は、中国地方の姫路機関区に所属し、播但線や姫新線といった地方路線で活躍し、生涯で108万3975キロメートルという壮大な距離を走行しました。かつて、この広場には美しい噴水が存在していたことを記憶されている方もいらっしゃるでしょう。その噴水の傍らにはタクシー乗り場も併設されていましたが、広場の再整備に伴い、2005年(平成17年)にその姿を消しました。