鳥取城:羽柴秀吉の兵糧攻めと歴史的変遷、そして現在の魅力





鳥取城の歴史を巡る旅:秀吉の戦略と現代の魅力が交錯する場所
秀吉の三大城攻めの一つとして名を馳せる鳥取城の歴史的背景と現代に残る痕跡
鳥取駅に降り立つと、街のメインストリートの先に、山頂付近に石垣の遺構を戴く、こんもりとした山が目に飛び込んできます。これこそが、戦国時代にその堅固な防御力と山頂からの壮大な眺望から「日本にかくれなき名山」と称賛された鳥取城、すなわち久松山です。この難攻不落の城を攻略したのは、後に豊臣秀吉となる羽柴秀吉による「渇え殺し」と呼ばれる兵糧攻めでした。これは、備中高松城の「水攻め」や三木城の「干し殺し」と並び、秀吉が用いた三大城攻めの一つとして歴史に刻まれています。
山城と平山城、二つの顔を持つ鳥取城の独特な構造と変遷
鳥取城の築城は16世紀中頃に遡ります。1581年(天正9年)、秀吉との激戦の末に城主吉川経家が自刃し、その後、秀吉の家臣である宮部継潤が入城しました。宮部によって近世城郭へと改修され、さらに江戸時代には関ヶ原の戦いを経て城主となった池田家が、鳥取藩32万石の拠点として山麓部分を拡張整備しました。この歴史的経緯により、山頂に位置する山上ノ丸(山城)と、山麓に広がる山下ノ丸(平山城)が、それぞれ異なる様相を呈する独特な構造が生まれました。近年では、山下ノ丸の復元作業が精力的に進められ、2025年3月には中ノ御門渡櫓門が完成しました。これにより、擬宝珠橋を渡り、城の主要な入口である中ノ御門の表門と渡櫓門を通り抜けて城跡内部へと足を踏み入れることが可能になりました。将来的には、太鼓御門や二ノ丸三階櫓の復元も計画されており、鳥取城の全貌が再びその姿を現すことが期待されています。
鳥取城内の見どころ:歴史的建造物と自然美が織りなす絶景
鳥取城の敷地内には、歴史愛好家を魅了する数多くの見どころが点在しています。旧藩主池田家の別邸として知られる洋風建築の仁風閣は現在修理工事中ですが、美しい宝隆院庭園は見学可能です。また、隣接する県立博物館では、地域の歴史と文化に触れることができます。二ノ丸周辺に整備された久松公園は、「日本さくら名所100選」にも選ばれる桜の名所として有名です。城内には、野面積みや切石積みなど、異なる工法で築かれた多様な石垣群が随所に残されており、特に全国で唯一とされる球面の石垣、天球丸の巻石垣は必見の価値があります。二ノ丸から続く急な石段「中坂」を約40分登り切ると、山上ノ丸へとたどり着きます。ここは天然の要害を利用した、防御に優れた城郭であったことを強く感じさせる場所です。本丸跡に立つと、南には鳥取市街、西には雄大な大山、そして北には鳥取砂丘と日本海という壮大なパノラマが広がります。東に見える電波塔のある本陣山は、かつて秀吉の本陣が置かれた「太閤ヶ平」として知られ、歴史のロマンを感じさせます。