れきしぶんか

ウガンダ難民支援:USAID撤退後の自立支援とモノづくりの力

2020年1月、当時の米国大統領ドナルド・トランプ氏が第2期政権の開始と同時にUSAID(米国国際開発庁)の解体を宣言したことにより、世界各地で展開されていた援助事業が突然停止・撤退に追い込まれ、約25万人以上が職を失いました。USAIDからの支援に依存していた人々は、生命の危機に瀕する事態に直面しました。ウガンダ共和国もその例外ではなく、世界で5番目に多額の支援を受けていたため、国内に多大な影響が及びました。ウガンダへの援助額が大きかったのは、同国が多数の難民を受け入れているためです。ムセベニ大統領政権以前は紛争が続き、多くの難民を国外に送り出していましたが、現在は周辺国が難民を受け入れた恩義から、逆に難民受け入れを表明しています。その結果、現在では南スーダン、コンゴ民主共和国、エリトリアなどから約190万人の難民がウガンダで生活しています。日本と大きく異なるのは、難民の数だけでなく、彼らへの待遇です。ウガンダ政府は「オープンドア・ポリシー」を掲げ、難民に自国民と同様の権利を与えています。例えば、居住のための土地提供、移動の自由、職業選択の自由、難民の子どもへの教育機会の保障など、ウガンダでの生活に必要な最低限の権利が保証されています。しかし、ウガンダ政府が単独で難民支援を行ってきたわけではないため、USAIDの解体は政府と難民双方に深刻な影響を与えました。特に大きな影響は、難民に毎月配布されていた一人あたり2万8000シリング(約1200円相当)のクーポンが突然打ち切られたことです。これにより、食事が一日一回になったり、子どもを学校に通わせたり、医療を受けさせたりすることができなくなった家族が続出し、中には母国である政情不安な南スーダンへ帰国する人々も現れました。

こうした状況の中、私の経営するRICCI EVERYDAYは、UN Women(国連女性機関)や日本の国際NGOであるピース・ウィンズ・ジャパンなどと協力し、ウガンダ北部で南スーダン難民および受け入れコミュニティのウガンダ人向けに職業訓練プロジェクトを展開しています。このプロジェクトでは、より高度な縫製技術やマーケティングの知識を習得することで、地元の市場だけでなく、首都の市場や国際市場で商品を販売できるようになることを目指しています。これまでの経験を難民支援に「横展開」するこの試みは、モノづくり、特に縫製や手工芸といった分野が持つ独自の特性に着目しています。まず、これらの分野は必要な材料が手に入りやすく、初期投資が少ないため、資本をほとんど持たない難民にとって活動を始めるハードルを下げます。また、労働集約型であるため、作った成果が目に見える形で現れ、達成感を得やすいという利点もあります。さらに、縫製や手工芸の技術は換金性が高く、生活を支える有効な手段となります。モノづくりが軌道に乗ると、難民の生活に様々な良い影響をもたらします。技術を習得することで経済的な自立への道が開かれるだけでなく、自分の手で何かを生み出し、顧客から肯定的なフィードバックを得る経験は、自信の再構築につながります。収入を得て地域社会と関わることは社会統合を促進し、手を動かすこと自体がメンタルヘルスにも良い影響を与えます。そして何よりも、自身のルーツに根ざした伝統技術を活かすことは、故郷を離れた人々がアイデンティティを保持し、再認識する力にもなります。

モノづくりは単なる「仕事」に留まらず、難民が尊厳を持って生きるための、静かで力強い手段となることを強く確信しています。経済的な自立だけでなく、精神的な充足、社会との繋がり、そして文化的なアイデンティティの保持といった多岐にわたる恩恵をもたらし、未来への希望を育むことができるのです。このような支援が、一人ひとりの人生を豊かにし、地域社会全体の発展にも貢献することでしょう。

古代日本を築いた遣唐使たちの功績:粟田真人の外交手腕と貢献

古代、広大な海を越え、命の危険を冒しながら中国大陸へと旅立った日本人たちがいました。彼らは当時の先進文化を学び、日本の国づくりに多大な貢献をしました。本稿では、そうした歴史の立役者たち、特に遣唐使として活躍した七人の男性たちの足跡と、彼らが果たした重要な役割を二部構成で探ります。この記事では、前編として粟田真人の生涯と業績に焦点を当てて解説します。

粟田真人と則天武后の評価

粟田真人は、653年の遣唐使に学問僧「道観」として同行し、唐で知識を深めました。帰国後、その非凡な才能を見込まれて俗人に戻り、官僚としての道を歩み始めます。持統天皇3年(689年)には筑紫大宰に任命された記録が『日本書紀』に残されており、藤原不比等らと共に大宝律令の編纂にも携わりました。702年の遣唐使では、彼は使節団の最高責任者である執節使として再び中国へ渡ります。この時の中国の王朝は唐から周へと変わり、統治していたのは中国史上唯一の女帝、則天武后でした。

粟田真人はその則天武后から非常に高く評価されたことで知られています。『旧唐書』には、彼が日本の産品を献上したことに加え、「真人は経史を好み、文章に優れ、その立ち振る舞いは優雅であった」と記述されています。則天武后は真人を麟徳殿での宴に招き、司膳卿の官職を授けて日本への帰国を許しました。真人は出発から2年後の704年に帰国し、その功績を称えられ、大和国に広大な土地と大量の穀物が与えられました。その後も中納言、大宰帥、参議などの要職を歴任し、正三位に叙せられ、719年にその生涯を閉じました。彼の活躍は、日本の律令国家体制の確立と国際関係の発展に不可欠なものでした。

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東洋医学に基づくツボ「偏歴」で体の不調を改善

東洋医学の奥深さに触れ、日々の不調を和らげるための手軽な方法として、鍼灸師の兵頭明先生が「偏歴」というツボに焦点を当て、その効能と実践方法を伝授します。このツボは、目の充血や耳鳴り、難聴といった症状に効果を発揮するだけでなく、ドライマウスや顔面麻痺の治療にも利用されることがあります。毎日の生活に1分間のツボ押しを取り入れることで、健康な体づくりを目指し、様々な身体の悩みを解決する手助けとなるでしょう。この記事では、ツボの名称の由来から、その正確な位置、そして効果的な刺激の仕方までを詳しく解説しています。

鍼灸師・兵頭明氏が語る「偏歴」の奥深さ

中医学の専門家である兵頭明先生は、長年の研究と臨床経験に基づき、ツボの持つ驚くべき力について語ります。先生によると、「偏歴」は大腸経に属する重要なツボであり、その名の通り「外れる、それる」という意味を持つ「偏」と、「通過する、経歴」を意味する「歴」から名付けられました。これは、大腸経から分岐し、表裏関係にある肺経へと気が流れる経路を示しているためです。このユニークな経路が、「偏歴」が多様な症状に作用する理由の一つとされています。

兵頭先生は、ツボの位置を特定する際に「同身寸法」という古くからの方法を推奨しています。これは、個人の体の比率に基づいてツボの位置を割り出す方法で、一般的なセンチメートル表記では捉えきれない微妙な位置を正確に把握するのに役立ちます。例えば、「へそから3寸上」といった表現が出てくる場合、この同身寸法を用いることで、誰でも自分に合ったツボの位置を見つけることができるのです。

「偏歴」は、主に手首に位置します。具体的には、手首をへそに当てた際に、陽渓と曲池を結ぶ線上で、陽渓から指3本の位置にあります。このツボを刺激する方法は非常に簡単です。左手首に右手の指の腹を垂直に当て、息をゆっくり吐きながら少し強めに押し込み、息を吸う際に指を緩める。この動作を5回繰り返すことで、効果が期待できます。同様に、右手首の「偏歴」も左手の中指を使って刺激します。手首をへそに当ててツボを探すのは、大腸経のラインが自然に現れるようにするためです。

このツボがもたらす効能は多岐にわたります。体内の余分な熱を冷ます作用があるため、目の充血、耳鳴り、難聴、鼻血、喉の痛み、口や喉の乾燥感といった、熱が上部にこもって生じる症状の緩和に役立ちます。さらに、顔面麻痺の治療においても重要な役割を果たします。特に、中国明時代の医学書『鍼灸聚英』には、「顔と口の病は合谷に収める」と記されており、「偏歴」も「合谷」と同様に、顔や口の症状改善に寄与すると考えられています。

兵頭明先生は、学校法人衛生学園の中医学教育臨床支援センター長を務め、天津中医薬大学の客員教授、神奈川歯科大学の特任教授でもあります。1982年に北京中医薬大学を卒業して以来、中医学の普及に尽力し、『鍼灸医学大辞典』など数多くの著書や翻訳書を手掛けています。現在は「医療・介護・鍼灸」の三分野が連携した認知症対策プロジェクトにも関わっており、その活動は多岐にわたります。

日々の忙しさの中で、体の小さな不調を見過ごしがちですが、「偏歴」のようなツボを活用することで、心身のバランスを整え、より健やかな生活を送ることができるでしょう。東洋医学の知恵を取り入れ、自分自身の体をいたわる習慣を始める良い機会かもしれません。

この「偏歴」の解説を通じて、東洋医学が単なる民間療法ではなく、科学的根拠に基づいた深い知識体系であることを再認識させられました。日々の生活の中で手軽に実践できるツボ押しは、現代人が抱えるストレスや疲労からくる様々な不調に対する有効なアプローチとなり得ます。特に、スマートフォンやPCの使用が増え、目の疲れや肩こりに悩む人が多い現代において、このような伝統的な健康法は、私たちの心身の健康維持に不可欠なものだと感じます。兵頭先生の専門的な知見が、多くの人々にとって健康への意識を高めるきっかけとなることを期待します。

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