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星野リゾート「界 草津」2026年6月7日開業:二つの世界を結ぶ温泉宿

星野リゾートの温泉旅館ブランド「界」が、2026年6月7日に群馬県草津温泉に新たな施設「界 草津」をオープンします。この宿は、「トンネルがつなぐ木立の湯宿と温泉街」というユニークなコンセプトを掲げ、草津白根山麓の高台に位置しながら、専用トンネルで賑やかな温泉街と静謐な宿の世界を融合させます。宿泊客は、二つの異なる魅力をシームレスに行き来しながら、草津の名湯、上州の染織文化、そして趣向を凝らした会席料理など、この地ならではの体験を存分に堪能できることでしょう。

星野リゾート「界 草津」の詳細

2026年6月7日、群馬県草津温泉に「界 草津」が誕生します。この新施設は、草津白根山の麓、静かな高台に位置し、宿泊者専用のトンネルによって、宿の落ち着いた雰囲気と、古くから「草津千軒江戸構え」と謳われる賑やかな草津温泉街とを結びつけます。この特別な構造により、宿泊者は「静」と「動」のコントラストを味わいながら、滞在を自由にカスタマイズできます。

宿の内部は、強酸性の自然環境が育んだ草津白根の岩肌や植生をデザインに落とし込み、木立の小径を歩けば野鳥のさえずりと木漏れ日が心地よい空間を演出します。館内では、自然湧出量日本一を誇る草津温泉の恵みを存分に味わえるよう、趣の異なる2種類の酸性泉、すなわち「万代鉱源泉」と希少な「西の河原源泉」を引いた大浴場が設けられています。3つの浴槽では、異なる泉質と湯温で“湯めぐり”気分を体験でき、さらに「温泉文化いろは」を通じて草津温泉の歴史と特徴を深く知ることができます。

客室は、世界的テキスタイルデザイナーの須藤玲子氏が手掛けた「シルクアートの間」として提供されます。かつて養蚕が盛んだった群馬の歴史にちなみ、客室全体が絹糸で表現された草津の雄大な山並みと湯けむりのアートに包まれます。織物の産地・桐生の技術が光るこの空間では、絹糸や繭のランプシェード、高原植物をイメージしたクッションなどが配され、繊細で心地よい雰囲気を醸し出します。また、宿泊者は「シルクを紡ぐ、上州座繰り」という「ご当地楽」を体験し、江戸時代から続く手仕事で繭から糸を紡ぎ、富岡製糸場を想起させる専用の建物で群馬の染織文化に触れることができます。

湯上がりには、暖炉ラウンジで薪の燃える音を聞きながら、群馬や草津の文化に関する本を片手にゆったりとした時間を過ごすのがおすすめです。食事は、プライベート感を重視した半個室で提供される「上州豊伝会席」と、界では初となる日帰り利用も可能な「蕎麦割烹 SAI」での「地粉生粉打ち蕎麦会席」の2種類から選べます。「上州豊伝会席」では、草津温泉の湯畑をイメージした器で供される群馬の豊かな食材を活かした料理、特にメインの「上州常夜鍋」が提供されます。「蕎麦割烹 SAI」では、こだわりの十割蕎麦と風味豊かな三段つゆを、地元日本酒やクラフトビールと共に楽しめます。

「界 草津まちめぐりセット」を利用すれば、温泉街の「三湯めぐり手形」で有名な外湯を巡り、裏草津のカフェで休憩するといった、宿と温泉街を自由に往来する特別な湯めぐり体験が可能です。これにより、宿泊者は草津の歴史と静寂の癒し、そして活気ある温泉街の魅力を余すところなく享受できることでしょう。

「界 草津」の開業は、伝統的な温泉旅館の枠を超え、現代の旅行者に新たな価値を提供する試みと言えます。静寂と賑わい、自然と文化、そして歴史と現代の融合は、訪れる人々に草津温泉の奥深い魅力を再発見させるでしょう。特に、宿泊者専用トンネルという物理的な繋がりが、心理的な境界線をも超え、多様な体験をシームレスに享受できる点は、新しい旅のスタイルを提案しているように感じられます。地域文化の体験や地元の食材を活かした食事、そしてテキスタイルアートが彩る空間は、単なる宿泊以上の深い感動と学びをもたらしてくれるはずです。この革新的なアプローチは、今後の温泉地のあり方にも一石を投じる可能性を秘めているのではないでしょうか。

SL大樹「土津」:会津への特別運行と地域活性化

2026年6月、東武鉄道を筆頭に、野岩鉄道、会津鉄道、そしてJR東日本が協力し、SL大樹「土津」の特別な運行が実現しました。この運行は、6月27日と28日の二日間にわたり、下今市から会津若松までの区間を走破します。特に注目すべきは、会津田島から西若松までの区間で蒸気機関車が走行するのが52年ぶりとなる点です。この取り組みは、福島県で開催中の「ふくしまデスティネーションキャンペーン」の一環として位置づけられ、日光と会津を結ぶ新たな観光周遊ルートの確立、そして会津地域の活性化を目指しています。

この特別な運行に先立ち、6月4日には報道関係者向けの試乗会が実施されました。試乗会は、本番と同一の運行スケジュールで実施され、乗務員の訓練や、沿線の見どころ、特産品に関する車内アナウンスの確認が行われました。野岩鉄道沿線は、山間部をトンネルで抜ける区間が多く、景色を楽しむのが難しい場所もありますが、五十里ダムのダム湖を渡る区間は特に景観が美しいとされています。また、沿線には川治温泉や湯西川温泉など、複数の温泉地が点在しており、冬季にはウィンタースポーツも楽しめるなど、四季折々の魅力が満載です。

SL大樹「土津」:52年ぶりの歴史的運行

東武鉄道、野岩鉄道、会津鉄道、JR東日本の共同プロジェクトとして、SL大樹「土津」が2026年6月27日と28日に会津若松まで特別運行されます。これは、1974年以来52年ぶりとなる会津田島から西若松間でのSL運行であり、鉄道ファンのみならず、地域住民にとっても歴史的な出来事です。愛称の「土津」は、福島県猪苗代町の土津神社に由来し、会津藩初代藩主・保科正之公の神号から名付けられました。この運行は、地域活性化を目指す「ふくしまデスティネーションキャンペーン」の目玉企画として、日光と会津を結ぶ観光周遊ルートの確立に貢献することが期待されています。

運行ルートは、下今市を起点とし、会津田島を経由して会津若松に至る二日がかりの往復です。会津田島駅では、機関車の連結位置変更作業が行われるほか、両日ともに「会津田島駅前マルシェ」が開催され、キッチンカーの出店、南会津町の特産品販売、鉄道会社のPRブース、そしてSLミニレールの乗車体験など、様々なイベントが企画されています。27日には、沿線のゆるキャラも登場し、運行を一層盛り上げます。この特別な機会を通じて、地域の魅力を広く発信し、観光客誘致に繋げることを目的としています。

安全と観光を両立する特別運行の工夫

SL大樹「土津」の特別運行は、安全性の確保と観光振興の両面から綿密な準備が進められました。野岩鉄道線内はトンネルが多いため、下今市から会津田島間ではディーゼル機関車が、会津田島から会津若松間では蒸気機関車が牽引するという、機関車の使い分けが採用されています。これは、トンネル内での煙の充満を防ぐための安全対策です。試乗会では、乗務員が普段走行しない区間の線形や信号機の位置、見え方などを実地で確認し、ディーゼル機関車や蒸気機関車といった特殊車両での運行に慣れるための訓練が行われました。

沿線には、湯西川温泉駅の「モグラ駅」や五十里ダムのダム湖(五十里湖)など、見どころも豊富です。湯西川温泉駅近くの観光センターでは、食事や買い物、温泉や足湯を楽しむことができます。野岩鉄道沿線は人口が少ない地域であるため、この特別運行は外部からの観光客誘致の大きなチャンスとなります。また、SL大樹の客車は国鉄時代に製造されたものであり、乗車体験を通じて「国鉄時代の鉄道旅行」の雰囲気を味わうことも可能です。この運行は、北関東から会津方面への最短ルートを活かし、磐越西線や東北本線と組み合わせた周遊旅行の魅力も提供します。

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祖母が語る戦争体験: 激動の時代を生き抜いた女性の物語

漫画家ゆっぺさんの作品は、祖母の過酷な体験を通して、戦前・戦後の社会状況や人間の精神の強さを浮き彫りにしています。幼くして両親を失い、養家での虐待、そして戦争という未曾有の事態に直面しながらも、キヨさんは自らの力で人生を切り拓いていきました。特に、戦中の軍国主義教育と終戦による価値観の激変、そして食料不足の中で生き残るための人々の行動は、現代に生きる私たちに多くの示唆を与えます。祖母の経験談を通じて、ゆっぺさんは歴史の重みと、それに翻弄されながらもたくましく生き抜いた個人の尊厳を描き出しています。

また、キヨさんの人生は、単なる苦難の連続ではなく、そこから得られた精神的な強さ、そしてユーモアを忘れない人間性も同時に描かれています。他者の評価に左右されず、自らの感情を制御できる祖母の姿は、困難に直面した際にいかにして心の平静を保つかという問いに対する一つの答えを示しているかのようです。彼女の明るさとおちゃめな一面は、壮絶な過去を乗り越えてきたからこそ生まれたものであり、読者に希望を与えます。手鞠作りに熱中する現在の姿は、過去の経験が現在の豊かな人生に繋がっていることを象徴していると言えるでしょう。

激動の時代を生き抜いた祖母の物語

漫画家のゆっぺさんが描く「親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話」は、祖母キヨさんの実体験を基にした作品です。キヨさんは幼い頃に父親を亡くし、養女として叔父の家で生活することになりますが、養母からの冷遇など、決して平穏とは言えない日々を送りました。さらに時代は戦争へと突入し、学校での勤労奉仕が優先され、学びの機会も失われていきました。軍国主義教育の中で「日本は勝利している」と信じ込まされていた子どもたちは、終戦によってそれまでの価値観が完全に覆されるという大きな衝撃を受けます。教科書の内容が墨で塗りつぶされ、教えられてきたことが嘘だったと知らされた時の感覚は、想像を絶するものだったでしょう。

ゆっぺさんは、作中の戦争描写が全て祖母から聞いた話であることを明かしています。特に印象的なのは、未亡人たちが食料を求めて地主の家を訪れ、食料を持ち帰っていたというエピソードです。当時の子どもだったキヨさんには、なぜ大人たちが怒られていたのか理解できませんでしたが、後にその行為の背景にある絶望的な状況と、生き残るために必要な行動であったことを知り、大きな衝撃を受けたと語っています。キヨさんは「身体が汚れても、心が汚れたわけではない」と振り返り、生き抜くことの尊さを教えてくれました。戦後の教育の変化、例えば英語学習の解禁なども、社会全体の価値観の転換を象徴する出来事として作品に描かれています。

逆境を乗り越え、心豊かに生きる姿

ゆっぺさんは、祖母キヨさんの壮絶な過去を知るまで、彼女を「明るく笑顔の絶えない人」としか認識していませんでした。しかし、その人生に隠された苦難を知り、「まさかこれほどつらい過去があったとは」と深い驚きを覚えたそうです。キヨさんは、「私は普通の家庭で育っていないから、思考がおかしいの」と自嘲しながらも、他人の評価や意見に振り回されることなく、自身の感情をコントロールできる強さを持っていました。この精神的な強さは、幼少期からの厳しい経験と、戦争という極限状態を生き抜いたことによって培われたものであり、ゆっぺさんはそんな祖母を心から尊敬しています。

現在のキヨさんは、作中にも登場する手鞠作りに情熱を注いでいると言います。最近ではブレーカーが落ちた際に、それを雷による停電と思い込み、真っ暗な部屋で1時間もじっと過ごしていたというおちゃめなエピソードも披露されました。このようなユーモラスな一面は、壮絶な人生を経験しながらも、人間としての温かさや楽しむ心を失わなかったキヨさんの魅力であり、多くの読者から愛される理由となっています。戦前から戦後にかけての激動の時代をたくましく生き抜き、数々の困難を乗り越えてきたキヨさんの人生には、現代社会に生きる私たちが学ぶべき多くの教訓が詰まっており、その生き様は私たちに勇気と希望を与えてくれます。

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