れきしぶんか

絶品!鶏むね肉とかぼちゃの南蛮漬けレシピ:きじま家三代の味

このレシピは、料理家のきじまりゅうたさんが、家族代々受け継がれてきた料理の知恵と、祖母である村上昭子さんへの深い敬意を込めて考案したものです。旬の食材を活かし、昔ながらの味わいを現代の食卓に届けます。

きじま家の伝統と革新が織りなす、新感覚の南蛮漬け

三代続く料理の心:きじま家の南蛮漬けの魅力

料理家の杵島直美さんときじまりゅうたさんは、家庭料理研究家として名を馳せた故・村上昭子さんの系譜を受け継ぐ、三代にわたる料理一家です。本シリーズでは、昭子さんの温かい思い出と共に、長年にわたり愛され続けてきたきじま家の特別なレシピを紐解きます。今回は、きじまりゅうたさんが旬のかぼちゃを用いて創作した「鶏むね肉とかぼちゃの南蛮漬け」をご紹介。南蛮漬けは、昭子さんが魚や野菜でよく作っていたという思い出深い一品です。りゅうたさん独自の工夫と、直美さんの心温まる記憶が交錯する、特別なレシピを二回にわたってお届けします。記事の最後には、村上昭子さんの詳細な紹介もございます。

さっぱりと奥深い味わい:鶏むね肉とかぼちゃの南蛮漬けの秘密

6月に好評を博した「なすの鍋しぎ」に続き、お二人が昭子さんの思い出の味として挙げるのが「南蛮漬け」です。酸味との相性が抜群で、昭子さんも頻繁にかぼちゃを南蛮漬けにしていたそうです。りゅうたさんは、このかぼちゃとヘルシーな鶏むね肉を組み合わせ、独自の南蛮漬けレシピを考案しました。玉ねぎの香ばしい風味がしっかりと染み込んだ漬け汁が、一度食べたら忘れられない魅力的な味わいを醸し出します。

おいしさの基盤:厳選された材料(2人分)

この絶品南蛮漬けを作るために必要な材料は以下の通りです。鶏むね肉1枚(250g、皮は取り除く)、かぼちゃ250g、玉ねぎ1/2個、かいわれ大根1/2パック(根は切り落とす)、水150ml、手でもんで粉状にしたかつお削り節2g、サラダ油大さじ2。調味料には、【A】として酢大さじ3、醤油大さじ3、砂糖大さじ1、そして【B】として小麦粉大さじ1と1/2、塩少々をご用意ください。

味の決め手:漬け汁と下準備の丁寧な工程

まず、漬け汁の準備から始めます。玉ねぎは繊維に沿って極薄切りにし、水で洗ってしっかりと水気を切った後、大きめのボウルに入れます。そこへ【A】の調味料を加えてよく混ぜ、約10分間置きます。玉ねぎの辛味が抜けて、調味料に風味豊かな旨みが移ります。次に、水とかつお削り節を加えてさらに混ぜ合わせます。このボウルは後ほど鶏肉とかぼちゃも加えるため、十分な大きさのものを選んでください。

安全かつ均一に:かぼちゃの下ごしらえのコツ

かぼちゃのカットには少しコツが必要です。まず、まな板の上でかぼちゃが安定するようにしっかりと固定します。次に、包丁の刃を軽く押し当てて少し切り込みを入れ、その切り込みを支点にして、刃先を手で支えながら柄をゆっくりと下ろすように切ります。これにより、硬いかぼちゃも安全かつスムーズにカットできます。かぼちゃは7~8mm厚さの、食べやすい大きさに切り分けます。

柔らかさと旨みを引き出す:鶏むね肉の切り方と衣付け

鶏むね肉は、まず縦に切り分け、その後一口大(約12等分)になるようにそぎ切りにします。そぎ切りにすることで、肉の繊維が断ち切られ、加熱しても硬くなりにくく、柔らかく仕上がります。切った鶏肉の水分をしっかり拭き取ったら、ポリ袋に入れます。そこへ【B】の小麦粉と塩を加え、袋に少し空気を含ませた状態で、袋の口を握りながら軽く振って全体に均一に衣をまぶします。この衣が、揚げた時にカリッとした食感と旨みを閉じ込める役割を果たします。

揚げたてを味わう:黄金色に揚げる工夫

サラダ油をフライパンに入れ、中火で熱します。油の温度が適温になったら、衣をまとわせた鶏むね肉とかぼちゃを投入し、両面がきつね色になるまでじっくりと揚げます。揚げる際は、一度にたくさん入れすぎず、少量ずつ揚げることで油の温度が下がらず、カラッと揚がります。揚がった鶏肉とかぼちゃは、油をよく切って熱いうちに準備しておいた玉ねぎ入りの漬け汁に浸します。熱いうちに漬けることで、味がより早く染み込み、美味しく仕上がります。

風味豊かな仕上げ:かいわれ大根の活用

最後に、漬け込んだ鶏肉とかぼちゃを器に盛り付け、根元を切り落としたかいわれ大根をたっぷりと添えます。かいわれ大根の独特の辛味とシャキシャキとした食感が、南蛮漬けのさっぱりとした味わいにアクセントを加え、見た目も華やかに彩ります。冷蔵庫で冷やしてからいただくと、より一層味がなじみ、美味しくお召し上がりいただけます。この一品は、食卓を彩るだけでなく、家族の温かい思い出も運んでくれることでしょう。

男子バレー日本代表、ネーションズリーグ全勝突破の軌跡と進化

バレーボール男子日本代表は、ネーションズリーグ予選ラウンドにおいて、前例のない12戦全勝という快挙を達成し、首位で決勝ラウンドへの進出を決めました。この目覚ましい結果は、一朝一夕に築かれたものではなく、過去数年間の努力と進化の結晶です。2023年にはこの大会で銅メダルを獲得し、翌2024年には銀メダルを手にするなど、日本代表は国際舞台で着実にその存在感を示してきました。

現在の躍進の背景には、新体制への適応と選手個々の成長があります。パリ五輪後、ロラン・ティリ氏が新監督に就任した初年度は、チームは戦術や練習方法に馴染むのに苦労しました。しかし、監督就任2年目となる今年は、選手たちが監督の采配に慣れ、選手からの提案も積極的に取り入れられるなど、チーム全体が円滑に機能しています。また、パリ五輪の主力選手である西田有志選手や山内晶大選手が代表に復帰したことも、チーム力の向上に大きく貢献しています。特に、昨年精神的・肉体的に大きな負担を抱えていた宮浦健人選手は、西田選手との連携により、「気持ち的に楽になった」と語るほどパフォーマンスを向上させています。

さらに、個々の選手の著しい成長もこの快進撃を支える重要な要素です。髙橋藍選手は体脂肪率を大幅に減らし、身体能力とジャンプ力を向上させ、今大会では全体5位となる208ポイントを獲得し、チームを牽引しています。レギュラー陣と控え選手の間の実力差も縮まり、アメリカ戦やカナダ戦といった接戦では、バックアップメンバーが試合の流れを変え、勝利に貢献しました。大塚達宣選手はイタリア・セリエAでの経験を通じて大きく成長し、富田将馬選手は守備だけでなく攻撃面でも力を発揮しています。最年少の甲斐優斗選手は、その高身長を生かした攻撃でベルギー戦での最多得点を記録しました。ミドルブロッカーのエバデダン・ラリー選手や新戦力の西本圭吾選手も存在感を示し、世界トップレベルのリベロ陣、山本智大選手と小川智大選手が控えるなど、各ポジションで層の厚みが増しています。そして、7年ぶりに代表復帰したベテランセッターの深津英臣選手は、長年の経験と磨き抜かれた技術で、高いレベルの個々をまとめ上げ、コートに安定感をもたらす重要な役割を担っています。かつて石川祐希選手を始めとする若手選手をブレイクに導いたその正確なトスワークは、現在のチームにおいても不可欠な要素となっています。

この男子バレー日本代表の快進撃は、単なる勝利以上の意味を持っています。それは、チームが困難を乗り越え、個々の才能を開花させ、互いに協力し合うことで、どんな高みにも到達できることを示しています。彼らのひたむきな努力と情熱は、私たちに勇気を与え、目標に向かって諦めずに挑戦し続けることの重要性を教えてくれます。今後も彼らの活躍は、多くの人々に感動と希望を与え続けることでしょう。

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日本のメロン史:高級品から日常の味覚へ

メロンは古くから日本に存在し、当初はマクワウリとして親しまれていました。明治時代に西洋メロンが導入され、富国強兵の象徴として、また上流階級のステータスシンボルとなります。大正時代には高級果物店で扱われるようになり、昭和に入るとプリンスメロンの登場によって大衆化が進みました。今日では多様な新品種が登場し、メロンは私たちの食生活に欠かせない存在となっています。

古くから「高級な果物」という認識を保ち続けているメロンですが、その歴史は日本人が古くからこの果物と接してきたことを示しています。育種家の竹下大学氏によると、現在のメロンは明治時代以降に伝来した西洋メロンが主流ですが、それ以前にも日本にはマクワウリという形でメロンが存在していました。弥生時代の遺跡からも種子が見つかるほどで、シロウリとは異なり、芳醇な香りと甘みを持つ貴重な果実として珍重されていました。

特に戦国時代には、美濃国真桑村(現在の岐阜県本巣市)で優れた甘さを持つ品種が生まれ、「マクワウリ」として広く知られるようになります。甘いものが貴重だった時代、織田信長や豊臣秀吉といった武将たちもマクワウリを重宝し、朝廷への献上品としても用いられました。しかし、江戸時代になると栽培地域が拡大し、マクワウリは一般庶民の間にも普及していきました。

明治時代になると、近代化の波に乗って西洋文化が積極的に取り入れられ、西洋メロンもその一つとして日本に入ってきます。明治5年にはアメリカ種メロンの栽培が成功し、その後、内藤新宿試験場では福羽逸人博士が、網目模様が特徴的な「マスクメロン」の開発に成功しました。「ムスク(麝香)」のような芳香がその名の由来です。大正時代には、早稲田大学の創設者である大隈重信が自邸の温室でメロンを育て、品評会を開くなど、マスクメロンは上流階級の象徴となりました。明治末期から千疋屋などの専門店で販売され始めましたが、当時は1個10円という価格で、教員の月給が20~30円の時代には、庶民には到底手の届かない「超高級品」でした。

戦後もメロンは高級果物の地位を保っていましたが、昭和37年(1962年)に坂田種苗(現在のサカタのタネ)が開発した「プリンスメロン」の登場が、その状況を一変させます。プリンスメロンはマクワウリと同じく網目はありませんでしたが、その味はまさしくメロンであり、大ヒットしました。これにより、1個200~300円とマスクメロンの10分の1程度の価格で提供されたことで、メロンは大衆の手にも届く存在となったのです。その後、昭和52年には「アンデスメロン」が商品化され、マスクメロンのような網目を持つ品種も大衆化しました。現在では、アムス、クインシー、イバラキングなど、さまざまな新品種が登場し、日本のメロン栽培は競争の激しい時代を迎えています。竹下大学氏のような育種家の尽力により、日本のメロン文化は多様な発展を遂げてきました。

メロンの歴史は、古代からの日本人と果物の関わり、そして近代における品種改良と文化の変化を映し出しています。かつての貴族の贅沢品から、現在では誰もが楽しめる多様な品種が存在するフルーツへと進化しました。今日、私たちはその豊かな風味を日常的に味わうことができます。

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