長崎の離島、池島炭鉱の記憶を辿る:元炭鉱夫が案内する海底坑道ツアー

長崎県の離島、池島は、かつて日本の近代化を支えた炭鉱の島として知られています。世界遺産にも登録されている端島炭鉱(通称:軍艦島)と同様に、この島もまた豊かな石炭資源で栄えましたが、エネルギー転換の波には逆らえず、2001年に閉山しました。しかし、池島が軍艦島と異なるのは、今なお人々が暮らしている点です。本記事では、この池島を訪れ、元炭鉱夫が案内する貴重な坑道見学ツアーの体験を通じて、過酷な労働環境下での生活や、炭鉱マンたちの誇り高き精神に触れます。
池島炭鉱は、第二次世界大戦後の1952年に開発が始まり、1959年に石炭の採掘を開始しました。海底約350〜650メートルの深さに広がる坑道の総延長は90キロメートルにも及び、その規模の大きさを物語っています。最盛期の1970年頃には、島には約8000人もの人々が生活しており、高層アパート、学校、病院、さらには映画館やボウリング場といった娯楽施設まで備わった、一つの独立した都市のような様相を呈していました。このような繁栄の歴史を持つ池島ですが、エネルギー政策の変化により国産石炭の需要が減少したため、2001年にその長い歴史に幕を下ろすことになります。
現在の池島では、約90人が暮らす静かな島となっていますが、かつての炭鉱の記憶を伝える活動が行われています。その一つが、元炭鉱夫がガイドを務める坑道見学ツアーです。このツアーは2027年3月に終了する予定となっており、今回、貴重な機会として参加することができました。長崎空港から車で約2時間の道のりを経て瀬戸港へ。波の高い日は渡航できない可能性もあるため、運航の知らせに安堵しながらフェリーに乗り込み、30分ほどの船旅で池島に到着しました。港では、温かく出迎えてくれた元炭鉱夫のガイドさんの案内で、ビジター施設「池島開発総合センター」へ。そこで池島炭鉱の歴史と概要に関する映像を視聴し、年間3000人以上の観光客が訪れていたことを知りました。
ツアーでは、まず鉱山特有の装備であるキャップライト付きヘルメットを装着し、実際に使用されていたトロッコに乗って坑道の中へと進みます。激しい揺れに耐えながら海底約130メートルの地点に到着すると、そこからさらに「マンベルト」と呼ばれるベルトコンベアを乗り継ぎ、約350〜650メートルの採掘現場へ向かっていた当時の状況が説明されました。ガイドさんによると、現場までの移動時間も労働時間として計算されていたため、会社は移動時間短縮と鉱員の負担軽減のため、1996年に世界最速の坑内高速列車を導入したといいます。しかし、その車両はわずか5年で役目を終え、現在は坑内に保管されているとのこと。
採掘現場では、「ドラムカッター」という大型掘削機を使って石炭が削り取られ、ベルトコンベアで地上に運ばれ、選炭工場で選別されていた様子が語られました。最盛期には年間約153万トンもの良質な石炭が採掘され、主に石炭火力発電所に供給されていたそうです。元鉱員のガイドさんの解説は、当時の炭鉱で働く人々の生きた証を生き生きと伝えます。「坑内の電話交換手の女性と親しくなり結婚した」「重さ20キロの装備と1日分の水筒・弁当を持って現場に向かった」「新入社員が坑内で迷子になった際に助けに行った」など、具体的なエピソードからは、過酷な環境下での人間関係や生活の様子が垣間見えます。
ガイドさんが機械を操作する際や発破の解説をする際に、必ず「安全ヨシ!」と指差確認を行う姿は印象的でした。安全が確保された見学コースであっても、この習慣は決して崩さない。その理由は、「常に命の危険と隣り合わせだった鉱山では、何よりも安全確認が大切だったから」とガイドさんは語ります。ダイナマイトを扱っていた経験から、「自分の命だけでなく、仲間の命、会社の命運も預かっている」という強い責任感が、「指差呼称は死ぬまで続ける」という言葉に表れていました。高校時代に鉱山で働くことを志し、関連資格を取得したものの、それらの技術や知識が鉱山の中でしか通用しない現実。しかし、ガイドさんはそれを恨むことなく、今この瞬間、訪れる観光客に鉱山の記憶を伝えることに全力を尽くしています。産業の消滅は、個人の努力や技術、知見の蓄積が失われることと同義であると、この体験を通じて改めて深く感じさせられました。